もしもピアノが弾けたなら

 

特に何の予定もない一人の金曜日の夜、なぜだか珍しくお酒でものみたくなって、昔買って余っていたJack Danielsをほんの少し、冷えた炭酸と混ぜてグラスに注いでいたら、以前父にハイボールが飲みたいと言ったときのことを思い出した。

 

以前帰っていたときに酒は飲むかと聞かれ、あまり飲まないが最近ウイスキーを教えてもらってハイボールが好きになったと話したら、

父は笑って、昔はハイボールなんてのはおやじの飲むもので若い女の人の飲み物なんかじゃなかったんだよ、と教えてくれたのだった。

私は単純だから、きっと綺麗な女優さんがお洒落なパッケージで格好良く飲んでいたら、苦手なビールだって飲めてしまうのかもしれない。

 

さて、普段一人でお酒なんか飲まない人間がハイボールなど作っている原因には、心当たりがある。

 

先日、上京したての頃にどうしても欲しくて買ったクラビノーバ(電子ピアノ)の音が、出なくなってしまったのである。

 

少し前から、ある鍵盤の音がなんとなく変わった気がしていたけれど、ある日弾いたら周辺の鍵盤の音が鳴らなくなってしまっていたのだ。

落ち込んだときもご機嫌なときもずっと一人暮らしを支えてくれてきたピアノなのに、今まさに浸りたい曲や頭に浮かんでいる歌が弾けないことは、泣き出しそうになるくらい悲しくて、呆然としてしまった。

何かヘアピンでも落ちてしまったのだろうか、動かしたときにどこか抜けてしまったのだろうか、とあれこれ画策してみたが、鍵盤は断固、歌ってくれない。

 

 

以前、「もしもピアノが弾けたなら」を口遊んでいたら、楽器を弾かない友人に笑われてしまったことがあるのだが、

そのときは、楽器を弾く人の方が、共感できる曲なんじゃないか?なんて、内心思ってしまった。

 

ピアニストの小山実稚恵さんが以前、

「本当に感性の良い人だったらピアニストなんてできないと思う。いつも理想とはかけ離れた音ばかりで嫌気がさしてしまうから」

というようなことを言っていて、

別に私は音楽家の感性なんてないけれども、日々自分がその瞬間に浸りたい歌となんか違う音しか出せない状態にストレスを感じる、ということに、妙に納得したのを覚えている。

 

ピアノが歌わなくなってしまったのは、声がなくなってしまったようでもあり、親友がいなくなってしまったようでもあって、

あ、弾きたいな、と思う度に、どうしようもなく切ない気持ちになってしまうのである。

 

いろいろ調べた上でメーカーに相談したところ、楽譜を書いているときに消しかすが落ちてまったということのようなので、修理に来てもらおうと思いつつ、

また広い部屋でグランドピアノに触りたいなあと、意味もなく無い物ねだりをする夜なのであった。

 

 

*後日追記*

後日メーカーさんに修理に来ていただいたところ、劣化の激しい基板素材を使っていた型番に該当していたそうで、あっという間に全て取り替えてくださいました。音も綺麗に直って、しかも修理費を全て負担してくれるという神対応で、呆然としていると長く弾けますよ〜といらしてくださった女性のスタッフの方もにこにこ仰ってくださったものだから、私もとても嬉しくなってしまいました(笑)。(その日の夜は “I can’t take my eyes off you” を歌いながら弾いた。ひとり暮らしの醍醐味ですね。笑)

 

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