恩師からの手紙

 

小さい頃からずっとクラシックピアノを習っていた。誰かにすすめられたわけでもなくて、ピアノをかっこよく弾きこなす先輩にあこがれて、親にせがんでやらせてもらった。ピアノを習うなんて安くないのに、本当にありがとう、両親ら大人たち。

 

不思議なことに、昔暗譜するまで弾き込んだ曲は、どんなに苦労した曲でも、今でもちょこっと練習すればまあなんとなく弾ける気がする(いやもちろん弾けてないんだけど、覚えていてそれっぽくなるということ)。そんな中でも、仕事が立て込んでるとき、ちょっと一息ついてリセットしたいとき、ささいな言葉に傷ついたとき、ふと弾きたくなる曲たちがいる。

ドビュッシーという人は私の大好きな作曲家の1人で、彼のアラベスクという曲は小学2年生のときに私が初めて彼に出会った曲だった。開けば当時の拙いメモが残ったままの、ぼろぼろの楽譜。ヘンレ版の楽譜は使っているうちにいつも表紙が剥がれてしまって、バッハもドビュッシーもどれもよれよれ。

私にピアノを教えてくれた先生は、技術だコンクールだということよりも、一つひとつの曲のアート性や音楽性、哲学や背景や曲の構造・理論的な分析なんかを、子どもだろうがお構いなしにしっかり惜しみなく教えてくれた素晴らしい先生だった。子どものときはコンクールだなんだってくだらない競争ばかりに一生懸命になっていたけど、大人になった今も、いやむしろ今の方がはるかに音楽を楽しんでいるのは、そんな素敵な恩師のおかげ。頑固な子どもだったから、人前であがってしまってうまく演奏できなかった本番後やレッスン中なんかによく泣いたのを覚えているけど、それはいつも先生に厳しいことを言われたのではなくて、出来ない自分が情けなくて悔しいからだった。先生はいつもちょっとおろおろして、チロルチョコなんかをにこにこくれたっけ。

この曲を教わったとき、先生はこの曲がどういう曲なのかをしっかり深く教えてくれて、私は今まで弾いたことのなかった音階や呼吸に驚きわくわくしたのを覚えている。

この間のクリスマスに、その恩師に、初めて手紙を出した。あんなに長い間、たくさんお世話になったのに、ずっと感謝を伝えたいって思ってたのに結局一回もろくに挨拶も手紙も出してなかったことに初めて気がついてそれはもう愕然とした。音楽をたくさんたくさん教えてもらったのに、結局授かったものを誰のためにも使わないで、全然違う職業についた自分が先生に何を言えばいいかもわからなかった。

一ヶ月ほど経った一月のある日、日本からの国際便で手紙が届いていた。先生からの返事には、ぎゅっと包み込まれて心が真ん中からぽかぽかとあっためられていくような、優しい応援がいっぱいに詰まっていた。私は先生に、手紙を出さなかったことを謝罪したのだけど、返事にはこう書いてあった。

「◯◯ちゃん、覚えていますか?最後のレッスンの日に、◯◯ちゃんは私にとっても素敵な手紙をくれました。何度も読み返して、今でも大切にとってあります」

あ、先生なんだって思ってなんか泣きそうになった。てか泣いた。最後のレッスンのことも、渡したという手紙のことも、私は何も覚えていない。先生に何か返したくてせめてもの気持ちで手紙を出したのに、結局いっつも励まされて与えられてばかり。

私たち教え子はいつも恩知らず。恩師に恩返しできることなんてこれっぽちもない。

せめて手紙を送って、帰国したときは会いに行きたいね。

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