大学はどのような ‘国際化’ に向かうべきか

 

先日研究所の構内を歩いていたら、梅がきれいに咲いていた。

二月末にもなるともうだいぶ春らしくなって、気持ちよく晴れた暖かい日が多くなってきている。

 

この日、アメリカ人の研究者の方と雑談していたときに、調子はどうと聞かれて超元気と答えたらそれはアメリカ式の適当な返事か、などと言われてしまったものだから(笑)、

梅のことや桜についてなど一通りおしゃべりした後、

彼が、ところで日本の大学って留学生や外国人を全然見かけないね、と切り出した。

どうやら最近大学のポストに就き、学生と直接交流する機会があったようだ。

確かに、大学によって大きく異なるではあろうが、我が国の大学における外国人学生・教員の割合は低い。

 

大学ランキングに見る ‘国際化’ の重要性

 

Globalization は大学などの教育研究機関において最も重要な要素の一つだ。国際化は研究水準を世界レベルに引き上げるだけではなく、世界各国のメンバーが集まることで、イノベーションや教育効果がうまれる。

大学の国際化は重要視されるようになって久しく、例えば政府は各大学に国際化指数をつけて、ランクづけや ‘super global’ 大学の指定を行うことで、大学の国際化を促進している。

しかしながら、様々な国際間交流プログラムを導入している ‘super global’ 大学においても、international な学生・スタッフの割合が domestic な学生・スタッフと比較し非常に低いという点で、 実際の現状は ‘super global’ からはかけ離れている。

世界的に高い信頼が寄せられている大学ランキングである World University Rankings (provided by Times Higher Education, THE)では、’international outlook’ という指標を 7.5%加味してスコアを計算しているが、

例えば日本で最も総合スコアの高い東京大学(36位, 2020年)は、この ‘international outlook’ が著しく低い(781位)。主な原因は外国人学生・スタッフ割合の低さである。

 

7.5% というと、別に国際化は重要な要素ではないと思われるかもしれない。実際、日本の大学の総合スコアを下げている大きな要因は、スコアの30%を占める、citation (論文被引用数)の低さだ。

しかし、論文被引用数が低迷する原因も、国際化の遅れが重要な原因になっていると私は思う。以下考えを少し述べてみたい。

 

論文被引用数の低迷と ‘国際化'[2,3]

世界各国の論文数の増加も相まって、日本の論文数や citation のシェアは近年低迷している。Clarivate Analytics が提供するWeb of Science のデータによれば、日本の論文数の世界ランキングは15年間で2位から4位へ、citation の順位は4位から9位へと低下した。

 

論文数とTop10%補正論文数*1(分数カウント*2)の国際間における順位の推移[2]
*1被引用数が各年各分野で上位10%に入る論文の抽出後、実数で論文数の10分の1となるように補正を 加えた論文数

*2機関レベルでの重み付けを用いた国単位での集計。例 : 日本のA大学、日本のB大学、米国のC大学の共著論文の場合、日本3分の2件、 米国3分の1件と集計する。

 

次に、論文数のうち、国内論文数と国際共著論文数の内訳の推移を見てみる。

主要国の論文数の推移をみると、日本以外の国では全体の論文数が増加していることがわかる。より詳細には、目をみはるような成長を見せる中国を除き、国内論文数はあまり変化が見られない一方で、国際共著論文が増加していることが見て取れる。

また、日本は英国やドイツ、米国に比べて、国内論文の割合が高いこともわかる。

 

論文数の時系列変化(青:国内論文、橙:2国間の国際共著、緑:3ヶ国間以上の国際共著)[2,3]

同様な傾向はCitationスコアの高い、’Top10%補正論文数’ の比較でも見られているが、

Top10%補正論文の内訳をみると、どの国でも国際共著論文の占める割合が高くなっている。

 

2015-2017年の、論文(all),Top10%補正論文(top)に占める国内論文と国際共著論文の割合。色の濃い順から国内、2カ国共著、3カ国以上共著論文。

 

最後に各国のCitationスコアの高い論文の、全体に占める割合を比較してみる。

各国における、2015-2017年の論文に占めるTop10%補正論文の割合

主要国のTop10%補正論文の割合に対し、我が国の割合は著しく低いことがわかる。

様々な要因は考慮しなければならないが、これらのデータから、国際共同研究が、インパクトの高い研究を行う上で非常に重要だと言えるだろう。

近年、日本の研究機関の国際パートナーとしての位置付けが下がってきていると言われるが、

大学での外国人受け入れ率の低さや、日本人の海外大学院生の少なさ、学生や教員の国際間の移動の少なさを考えれば、

国際共同研究のパートナーとしてのチャンスが他国よりぐっと少なくなってしまうのは、当然と言える。

例えば私の周りでも、国内であれ国外であれ、交流の深い研究室の論文は優先的に引用するのが習わしである。

 

大学ランキングが全てというわけでは、もちろんない。しかし、権威あるランキングは、多くの学生が参考にする、優秀な人材を集める上で重要な指標であることに変わりはない。我が国の大学は、海外学生・教員の受け入れを、もっともっと増やすべきである。

 

 

諦めて英語化すべき

 

北米の大学のPh.D.コースで奮闘中の友人が、こんな話をしてくれた。

 

彼が友人たちに、日本の大学についてどう思うか聞いたところ、よくわからないし難しそう、と言われるそうである。

学生がアプライを考える際、いちばん最初にすることは、有名大学や関連分野の研究室の、Web検索だ。

彼の友人たちの話によると、彼らは日本には高い教育・研究水準の大学がある、という認識でありつつも、Web検索で十分な情報を得られなかったそうである。

これは本当に深刻な問題だと思う。

確かに、大学に関する重要な情報を提供する様々な日本語のサイトはある一方で、英語のサイトは公式サイトくらいしかない。例えば研究室のWebサイトも、完全に研究室の学生に委ねられていて、情報量が少なかったり、ひどい場合では英語のサイトがないケースもある。

さらに、日本の大学院(大学)は入学試験を大事にするが、こちらも専門性の高い知識を問う形式が多く、

大きく異なるバックグラウンドを持つ海外の学生にとっては、募集要項だけでは十分な対策は非常に困難だと思われる。

特別枠を設立したり、網羅すべき分野や対策に関する十分な説明を提供したりするなどといった行動が必要だ。

 

日本は島国だから、とか、和を重んじる文化だから、とか言っている場合ではなく、

大学や大学関係者は、公式サイトだけでなくあらゆるサイトを英語化して情報提供をするべきだし、

授業もレポートも、英語をどんどん導入して、英語の公用語化を進めるべきだと思う。

 

 

globalization の本質

 

ここまで、大学の globalization をテーマに話してきたが、

Globalization の本質(というか、背景にある重要なもの)は、diversity だと思う。

Diversity は決して個性を薄める方向に進んでいくものではなくて、

新たな興味や発見をうみ、イノベーションのチャンスを与えるだけでなく、一人一人の人生を広げてくれるものだ。

 

大学という場所が、より個人個人が活き活きと学べる場所になるように、

時代の変化に合わせた変革を、進めていきたいものである。

 

参考

[1] World University Rankings, Times Higher Education (THE), 2020

[2] 令和元年科学技術白書第1章, 文部科学省

[3] Web of Science, Clarivate Analytics

 

 

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