Quebec City,アートなお一人さまワーケーション

 

St. Lawrence 川を渡ってモントリオールを出発した長距離列車は、なんにもない緑色の景色の中をどこまでもどこまでものろのろと進んで、
すっかり日が傾き読書にもうたた寝にも飽きてきた頃、再び大きく開けた St. Lawrence 川沿いの港の橋にさしかかった。

北米の列車というのは随分と呑気なもので、全く時間を守られたことが一度もない。出発もまあ予想通りに遅れ、道すがらも止まったり止まりそうになったりを繰り返すものだから、ケベック・シティに着いたのは予定よりも3時間程遅い日暮れだった。それでもカナダの長距離列車 Via Rail はアメリカの Amtrak よりは断然良いらしい。

自己ベストの時間(目標の時間?)じゃなくて、なるべく正確な時間を表記してくれればもう少し楽なのになあと思いつつ、ぴりぴりしたところで苛立っているのは日本人の私くらいなのでとやかく言う気も起きず、そして日のすっかり落ちた休日の街でアプリを開くとタクシーもバスも走っていなかった。

メッセージをやりとりしていたエアビーのオーナーは、18時を過ぎた頃から連絡がぴたりと来なくなり、遅くなりそうですという私のメッセージが虚しく浮いている。そういえば職場にいるケベック・シティの同僚も、どんなに重大なインシデントが発生しても17時以降は決して連絡がとれなかったなあ。。としみじみ思い出しつつ、彼らのプロ意識(?)に改めて感心した。仕方がないので、仕事のPCと大きなかばんを担ぎ、坂の多いこの街をてくてくと小一時間ほど歩いて、中心街から少し離れた滞在先に向かった。

 

 

海外出張で1ヶ月くらい旦那が留守の間、リモート職の恩恵を被り、お隣の Quebec 州にのんびりワーケーションで一人滞在をしてきた。モントリオールとケベック・シティにそれぞれ滞在したのだけれども、今日はケベック・シティの素敵な美術館の話でもしようかと思う。

 

 

カナダ(アメリカも)は州やテリトリー・街ごとにまるで違う国のようなところがある。この国は、17世紀初めにケベックを中心にフランス系移民が移り住んできて毛皮貿易で栄え出したのだけれども、ケベック・シティはそのころから中心となって栄えた歴史のある街で、古い石畳の街並みがそのまま残っている。

ヨーロッパの街並みとゆったりとしてアーティスティックな文化、英語が通じないことなどフランスを彷彿とさせる部分を多く持ちつつ、人がよく親切なところがとてもカナダらしい。

以前フランスに行ったとき、フランス語のわからない外人ということで意地悪された記憶があるのだけれども、この街の人たちは、マルシェやカフェに入っても、こちらが片言のフランス語であれアジア人であれ、いろいろ教えてくれたり、笑顔で挨拶をしてくれたり、ちびの私のために荷物を棚に乗せるのを手伝ってくれたりと、とっても親切にしてくれた。Canadian の良いところは共通なんだなあ、、と思わず感動してしまった。

 

 

街には museum や小さなギャラリーがたくさんあって、一緒に食事をする相手のいなかった私は、退勤後お散歩やこれらの museum を回ることがルーティンになってしまった。入場券は、「小学生以下」「学生」「大人」「シニア」のほかに、「若い大人」という枠があることが多くて、20代や30代前半の社会人は「大人」よりもお得な値段で入ることができた。月に一度誰でも無料で入れる日を設けていることも多いようで、そういった市民とアートとの距離感はまるでフランスみたい。

日本は、特に東京などの都市はアートが盛んで、美術館もギャラリーも多く、国内のポップアートも盛んだし世界中からいろんな作品が来ていろんな面白い展示がやられている。私は東京のそういうところがとても好きだけれど、北米は北米でキュレーターの興味がまた違くて、近代アートや北米のアーティストたちの作品に触れられる機会も多く面白い。新しいアートって、素人には理解不能な突拍子もないものも多いけど、アーティストたちが、というより作品を評価する人・購入する人たちが、新しい価値観を激しくぶつかり合いながらまさに新しい価値を作っている現場、という感じがする。

 

素敵な museum や小さなギャラリーがたくさんあったのだけれど、その中の一つ、滞在していた場所の近くに、Musée national des beaux-arts du Québec (ケベック国立美術館) というところがあって、平日遅くまで空いていた。こちらもとっても素敵な場所で、平日閉館近い、人の少ない時間に見に行って、帰りに隣の Plaines d’Abraham (アブラハム平原)という大きな公園を展示について思いを巡らせながら散歩して帰る、というのがすっかり気に入ってしまった。

 

 

この美術館で面白かったのは、普段あまり触れたことのない Quebec のアーティストたちがハイライトされていたこと。移民アーティストたちの作品や、Indigenous アーティストたちの作品もたくさん置かれていた(ちなみにカナダはアメリカに比べて indigenous people の人口比率がはるかに高く、およそ 5% の人が先住民のルーツを持っているとされている)。社会的な背景をテーマにした作品が多くて、より「今」「ここ」にフォーカスしているところが、この美術館に他の美術館とは少し違った価値を与えているように思われる。

 

 

特別展には、 LACMA (Los Angeles Country Museum of Art) にも来ていた、 Alexander McQueen という UK のファッションデザイナーの “Art Meets Fashion” という、とっても豪華な展示が行われていた。

服というのは人間が社会的な場面で纏うものだから、単なる衣類という意味を超えた「ファッション」というものはどうしても社会的な目的から切り離すことは難しい。だから、ファッションでアートを表現、というのはとてもチャレンジングなことのように思われる。

ファッションの価値というのは芸術性というよりも、それを纏う人を輝かせ引き立てるもの・スタイルを自己表現するもの・ステータスを表すもの、ということに置かれる。というか背景も特になく(知らされず)これが良いのだ!このファッションがかっこよいのだ!と言われても、超高級ブランドや一流デザイナーのファッションショーは、悲しいことに素人の私にはぜんぜんわからない。大抵、着ている人が自信を持って堂々としていれば、その人もその人のファッションもみんな素敵に見えてしまう。(私がファッション疎いだけ?)

 

この特別展では、それぞれの「ファッション」が、歴史や芸術作品、ファンタジーや社会的主題など様々なテーマの中で語られていて、それらの意図が見ている人にも伝わるように展示されていた。各々のテーマに、それを見つめるアーティストの視点と、それに加えてファッションをまとう主体(自分)という視点があるのが、普段の美術館の体験と異なっていて、とっても新鮮でうーん面白いなあと感じさせられた。この展示で素敵だったのが、部屋全体の世界観を作品として、照明や配置、音楽なども展示の一部としていたところで、ファッションというか総合アート?ビジュアルアート?のような見せ方をしていた。コンテンポラリーアートの個展はこういうものが多いように感じる。

 

LACMA で Alexander McQueen の展示を通りかかったときは、ツノの生えた帽子を被った奇抜なファッションマネキンがどーんと立っていて「土星のイメージです」みたいな感じだったので、わ、、よくわからない、、と思ってしまったけれど、この美術館の特別展はとっても面白く見ることができたのでよかった。笑

 

こんな展示がどこどこでやっているらしいから見に行きたい!というのも良いけれど、キュレーター推しというか、美術館推しというか、この美術館の特別展だから、という感じで見に行くのも悪くない。隙を見つけてはふらっと来て、小さな名前のないギャラリーも含め、またのんびりこの街をうろうろしたいなあ。。

 

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