部屋に篭りがちの日々、先日ふと日中外に出たら、太陽がびっくりするくらいに眩しくて、アブラゼミの鳴き声がどしゃ降りの雨のようにいっぱいに降り注いできたものだから、ああ真夏のエネルギーってこんなにもいっぱいに私を圧倒するものだったのだっけ。と一人驚いてしまった。そんなある夏の日の夜にとりとめもなく久々に書く。
最近ささやかな幸運があって、家族になりたいと思える人と家族になることになった。
平日は日々目の前の手ごわく複雑な問題にうんうんと唸りながら取り組み、休日は休日でまたばたばたと諸々をこなしていたら、その諸々があれよあれよと言う間に済んで、気づけば数日後に婚姻届を提出する日がやってくる。
きっと多くの人がそうなのだろうけど、制度上のことにすぎないと分かってはいても、生まれたときからずっと名乗っていた籍から出るにあたっていろいろと考えさせられることがあったので、
今日はすぐに忘れてしまうであろう今の感情をいつかまた思い出せるように、自分の日記としてつらつらと書いていきたいと思う。
タイトルと違うじゃないかと仰る方もいらっしゃるかもしれないが、まあそっと閉じていただいても構わないし、気長に付き合っていただけたら、嬉しい。
私にとってここ最近の一番大きな気づきは、両親(や両親に当たるような人)は、とんでもなく偉大だということだ。
今でこそこんな可愛げのある発言をしているが、正直に告白すると、私はteenagerのとき数々の割と盛大なバトルを両親と繰り広げてきた。どれも自分のエゴのために両親の気持ちを踏みにじるようなことばかりで、自分が親だったらこんな子どもは養子にでも出すと言い出すに違いない。そうでなくても、残念なことに私は基本的につけ上がっていて、感謝の気持ちがだいぶ欠落していた。
先日とある場面で、父が
「娘もいろいろありましたけれど、結局はこうして良い人に出会えたので、私たちは幸せです」
というようなことをある文脈で言っていて、
これだけでは何も伝わらないかもしれないけれども、言葉の真意を知る身としては、彼らがどれだけ自分を大切にしてくれてきたかということと、自分のしてきたこと・してこなかったことに、愕然とさせられた。
両親の偉大さは計り知れない。私たちはきっとそれを一生完全に理解することはできないし、両親がくれたものに対して親孝行なんて結局ほとんど何もできないのだ。結局、日々充実して、幸せそうに生き生きと暮らしている姿を多少は痩せ我慢してでも見せることが、私たちの責任なんだと思う。ほとんど連絡も帰省もしない娘だったけれど、たくさん連絡して(感染対策が万全な状態になったら)帰省することが、きっと私にできる唯一のことなのだろう。
こうして、急に籍を外れることを寂しく感じるようになり、でもこれらの気持ちをどうしたら良いのかもわからずぼんやりとしてしまうのである。
自分のために生きるというのは、それはそれで人生の一つの軸として、自分のやりたいことに挑戦するという素敵な生き方だけれど、
この世界では、価値の軸があまりにも複雑で混沌とした並びで乱立していて、しかもそれらは大きくなったり小さくなったりしている。
今回私の目の前に大きく現れた軸は、目の前にいる人が目の前にいるときに最大限気持ちを理解する努力をし、ときには見返りも理解も求めず与えるということだったり、
パートナーがいつも幸せで、この人を選んで良かったと何回も思えるように、日々努力し続けることなのである。
今後どうアップデートされるかはそのときの自分に任せるけれども。
ということでようやくタイトルの話題が出てくるわけであるが(笑)、こういう不揃いでぼやけていて混沌と並んでいる軸を、いつも自分の目でみつけ自分の手で並べ替えて、試行錯誤しアップデートし続けていきたいということが言いたかったわけで、
大変だけれどもそういう努力を続けることで、素敵な歳の重ね方ができるんじゃないかと、そういう年齢の重ね方をしたいと25歳の何もわかってない自分は思ったということである。
今回、たくさんの人の優しさに触れて、日々言葉に表せないくらい感謝を感じたことを忘れずに、
どんな言葉が嬉しかったのか、自分はどんな気持ちだったのか、どんな配慮に感動したのか、しっかり心にしまって、何倍にもして友人たちに返していきたい。情に厚い人間になりたいものである。
ちょっとした事情で、しばらくは東京の片隅のこの狭い単身用アパートに引きこもって、相変わらずうんうん唸っているつもりなのだが、時折思い返して刻んでおきたいなと思う。
歳を重ねてどんどん素敵できれいになっていく女性のように、深みを身につけていきたいものである。
ここまで読んでくださっている方は多分いないと思うが、もしいらっしゃるのなら、ありがとうございます。
どうぞ良い日になりますように😌またいつか。