大人はなぜ、子どもに将来の夢を聞きたがるのか

小学生のとき、「将来の夢」について作文をたくさん書かされた。卒業アルバムを見返すと、全員分の「将来の夢」がずらりと並んでいる。学校の先生。プロ野球選手。お医者さん。キャビンアテンダント。○○ちゃんの将来の夢はなに?○○ちゃんは大人になったら何になりたいの? 職場の先輩のお子さんの話を聞いて、将来はきっとお父さんみたいに優秀でかっこいい大人になるんだね〜、○○くんは何になるんだろうね〜、なんて、呑気に頭に浮かんで口をつぐむ。大人はどうしたって、子どもに将来の夢を聞くのが好きらしい。なぜ私たちは、子どもは大人になる過程だと思っているんだろう。人のことよりも、自分たち大人の将来の話だって、問うべき大事な話のはずなのに。

 

幼稚園の卒園アルバムには、「本屋さんになりたい」と書いた。小学校にあがると、「作家さん」とか「研究者」とか書くようになった。でも、より学年が上がっていくうちに、将来の夢はなに?将来は何がしたいの?と大人に尋ねられるのがどんどん苦痛に感じるようになったように思う。とりあえず大人が満足しそうな回答を常に用意しておいた。

「本屋さん」「作家さん」などといったあまりにざっくりとした枠組み以上に、どうやら将来というのは複雑らしいぞと理解をし始める。将来は社会のために働かなくてはならない、ということがもう決められていて、既に定義された何かしらの職業に行き着くことで、私たちは「子ども」から卒業しなくてはならない。そんな漠然とした構造を見ていたのだと思う。本当は、わかりやすい肩書きになんか押し込められず、一人一人ぜんぜん違うのだ。職業も、どんどん新しい肩書きが生まれては、一部は注目され、大部分は一生深く知ることもなく、消えてゆく。

 

憧れの先輩みたいに、いろんなことに挑戦する人になりたい。映画のヒロインみたいに、たくさんの人から信頼される人になりたい。何でも知っている魔女のようなおばあさんみたいに、物知りで賢い人になりたい。そういう「なりたい自分」については、ひとり思いを巡らせているとむくむく夢が膨らんでくる。それなのに、将来どの肩書きが欲しいか、という問いの答えを考えることにはわくわくというよりも、「正解」を探した。子どもは「純粋」で「無邪気」というのは大人たちの幻想だ。子どもは大人たちの機微を敏感に察知し、自分たちの社会の中で生きていくことに毎日必死で、もしかしたら、自分の気持ちよりも、大人に褒められる「答え」はなんだろう、「正解」はなんだろう、ということの方を考えて振る舞う。

 

パン屋さん、お花屋さん、お嫁さん。そう嬉しそうに言える女の子たちが、少し羨ましかった。きっと誰も、そんなに気にしてすらいなかったのかもしれないけれど、私は大人の女性らしくならなければいけないことも嫌だった。少し話題が逸れていると感じられる方もいらっしゃるかもしれないけれど。

ドッジボールで男の子の投げたボールが受けられなくなったとき、鬼ごっこでどうしても男の子に追いつけなくなったとき、たまらなく悲しかった。女性らしい装いをして、女性らしい下着を身につけて、お化粧をして、女性らしく振る舞うことを、徐々に徐々に、でも確実に、強要されていくことが嫌だったのを覚えている。結婚式ではきれいなウエディングドレスを着て、結婚をしたら苗字を夫に合わせ、いずれ子どもを産み育てることを大人たちに、社会に望まれているのが私には少し憂鬱だった。当時は、はあ男の人に生まれたかったなあ、と思っていたけれど、本当はそうではなくて、私たちは皆つまらない大人になっていくのだということが、息苦しかったのだと思う。結婚式なんかしたくなければしなくて良いし、パンツスタイルの結婚式だって、良いじゃんか。

 

「子ども」だった頃よりも、はるかに自由に、未来にときめいて暮らしている自分は幸運なのかもしれない。「大人」になった今、あの頃抱えていた違和感も憂鬱も、抱える必要もないことだったのだなあと思う。結婚はしたくなったらすれば良い。嫌になったら仕事は辞めれば良い。新しい仕事にわくわくしたらキャリアを変えれば良い。おしゃれは、自分が一番素敵だと思うようにすればいい(そんなおしゃれが一番素敵だ)。「女性らしい」もののなかで好きになったものもたくさんあるし、自然に好きになったら「女性らしい」ものを身につければ良い。大人になってからだって、パン屋さんでも画家でも作家でも、やりたいことを、折り合いをつけながらやれば良い。「将来の夢」というのは人生のゴールではなく、職業とか肩書きとかでもない、ちょっと未来のなりたい自分、見てみたい世界、やってみたいことを語れば良いのだ。「西の魔女」みたいな素敵なおばあさんになりたい、という夢はまだわくわくする私の将来の夢だ。パンツスタイルの結婚式は残念ながら実現できなかったけれど。

 

友人と久々に会うとき、「今どんなことしてるの?」と人は聞く。子どもたちにも、同じようにそう尋ねたい。今どんなことが楽しいの?最近どんなことを考えたり感じたりしたの?「子ども」を、大人になることを、しかも肩書きなどに押し込めたつまらない大人になるための訓練生とみなすことを、したくないよなあと思うのである。

 

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