カナダ移住記 – ①移住編

日本にいた頃は毎月何かしら書きたくなって記事を書いていたのに、

ブログの存在を忘れていたわけでも、書く時間がなかったわけでも、書く内容がなかったわけでもないのだけれど、

こちらに移住してきてなぜか記事を書けなくて、気がついたら4ヶ月以上が経ってしまっていた。

 

もう夜の8時にもなるのにカナダの夏の夜は明るくて、秋みたいにからっとした風が、どこか外で食事を楽しむ人たちの笑い声を運んでくる。

気候のせいかはたまた適度な満腹感のせいか、カナダ移住について溜まっていた書きたいことが次々と湧いてきたので、

書きたい気持ちが生きているうちに、カナダの生活についての連載でも始めてみようかと思う。

 

今日はカナダ(トロント)にやってきたときのことを思い出しながら書いてみる。よろしければ是非お付き合いください 🌼

(書いている人間は、大学院学生である旦那との結婚に伴い2021-2022年冬にカナダに移住してきた当時25歳女です)

 

 

日本を出たときのこと

現在北米ではすっかりコロナの規制はなくなって、入国時の検査も待機も何もなければ、マスクの規制も全解除されもはや身につけている人すら見かけなくなったが、

こちらにやってきた頃は国際間の移動が本当に大変だった。

ビザと仕事との事情で、2021年から2022年の年末年始に日本カナダ間を数回行き来したのだが、

日本はそのころ完全に鎖国状態だったから、便も本当に少なく、空港はこれまで見たことがないほど暗くがらんとしていたのを覚えている。

年末の成田空港

 

ちょっと考えられない話なのだけど、このころ直通便はほとんどなく価格もものすごく高かったので、

初めにカナダに入国する際には、日本からヨーロッパ経由で行かなければならなかった。

深夜の成田を出発し、フランクフルトで乗り継ぎ、アムステルダムで再度乗り継ぎ、トロントへ向かうという経路だったので、

成田でトランクを預ける際は、もうこの荷物と再び会うことはないかもしれないなという謎の感慨に耽っていたことをおぼている。

雨のフランクフルト空港

日本からフランクフルトの便は、本当に客がおらず、3列シート(となんなら後ろの一列も)を独占することができた。

航空会社の損失を計算しようとすると恐ろしくなるが、客としてはものすごく快適で、脚を伸ばしてぐっすり眠ることができたし、

滅多にない機会だからとちゃっかり隣のシートのモニターも拝借して、映画を並列して観たりした。結局ほとんど内容が頭に入ってこなかったけれど。

 

フランクフルトに到着したのは現地時間の早朝5時とかだったと思うのだが、極東からわざわざヨーロッパを経由して北米に向かう単身の女が怪しく映ったらしく、セキュリティチェックがなんだかものすごく厳しかった。荷物検査ではあれこれ開けられ、書類とかまでなぜかチェックされたのだが、成田で買ったお気に入りの緑茶が「検査の結果ポジティブだった」とかよくわからない理由で捨てられてしまった。日本から大切に持ってきたほうじ茶の元と、コンタクトレンズの洗浄液(少量)はなんとか懇願して死守することができた。妹からもらった若干癖強めのストラップも、かわいそうなことに強面のセキュリティにひと睨みされるという体験をすることとなった。

 

アムステルダムはよく晴れていて、美しかった

そんなこんなでアムステルダムから再度長いフライトだったのだが、今回は残念ながら満席だった。隣の席の方が、息子さんと暮らすためにアフリカから初めて海外に出てこられたらしい方だったのだが、単身で英語も片言で、トロントからもさらに乗り継ぎがあるようだったので、本当に苦労されていることが察された。彼女は無事息子さんと出会って、元気に暮らしていらっしゃるだろうか。

カナダ入国手続きのこと

さて、ようやくトロントに到着してから、今度は入国手続きと就労ビザの獲得をしなければならなかった。

日本で受けたPCRの陰性証明書、ワクチン接種証明書、カナダ政府指定アプリの事前登録確認、biometrics 証明、就労ビザ承認のレターなど重要書類をなくさないようにふやけるくらい握りしめて、大変長い時間空港で手続きをする必要があったのだけど、これがまた独特の緊張感があった。(ちなみに日本帰国時の方が断然長く大変だった。)

たまたまそういう時期だったのか、学生ビザの取得手続きしている思しき初々しい学生たちがほとんどだった気がする。

不安げな顔をした彼らの中で、時差ボケでうとうとしながら長い時間待っていると、突然どやどやと、日本人男性の太腿くらいあるんじゃないかというほど太い腕にびっしりと刺青を入れた熊のような警官たちがホワイトボードを引きながらやってきて、

「ここに書いてある書類のうち一つでもない奴はいますぐ自分の国に帰れ、わかったか!…メリークリスマス」

的なことをばーーんと怖い声でおっしゃるものだから、気の毒に若い学生たちはすっかり青ざめてしまった。

そこから、200人くらいいる中から名前が一人一人呼ばれるのだけど、最初に呼ばれた方がお手洗いにでも行っていたのか出てこられなかったのを受けて、

刺青のお兄さんはあろうことか手に持っていたビザをぽーんと後ろの床に投げてしまったので、哀れな我々は震え上がった。

ちなみに自分は就労ビザだったからか、幸運なことになぜか3人めくらいに呼ばれて、

ホワイトボードに書かれた5つの書類のうち2つしか持っていなかったのだけど、すんなりビザをもらうことができた。

自分の場合は夫のスポンサーによるファミリービザだったのだけど、刺青のお兄さんは、怖い顔で3秒くらいじっと書類を睨み、私の顔を睨み、そしてもう一度書類を睨んでから、いくつかの簡単な質問をして、「行け」みたいな感じだった。このくらいやらないと移民の国は成り立たないのだろうな。

入国時PCRの結果が出るまでのクオランティーンを経て、ようやく街に出ることができた。空港には旦那がわざわざ迎えにきてくれたのだけれど、コロナ対策で空港に入れてもらえなかったらしい。むきむきの強そうなセキュリティのお姉さんの横で、さむそうに小さくちょこんと立っていた。

 

トロントの街中のスケートリンク

 

カナダでのクオランティーン

さて、仕事の関係でその後間も無く日本に一時帰国する必要があったのだが、日本への入国の方が振り返ればばたばただった。

出国前PCRの結果が出国時間直前まで送付されず、電話をかけてせっつきながらチェックインの列に並んでいたのだけれど、

ようやく自分の番がくる直前になってメールが送付されて、開くとあろうことか陽性だったのである。

 

 

仕方がないので、即座にクオランティーンの場所を確保し、すぐに会社に連絡して、夫と仲良く10日間の隔離生活を送ることになった。今はこのようになんでもないように話しているけれど、当時はマネージャーや会社に申し訳なくて切腹を言い渡された武士のような気持ちだった。

その後、自分は軽症だったのだけれども夫の容態が悪化し長引いた。幸運なことに、熱と喉の痛みだけで肺の異常が表れるような大事には至らなかったのだけれども、38度前後の高熱が5日間続き、カナダはそのころ日に3万人くらいコロナ感染者がいたため頼れる医療機関もなく、とにかく情報収集して必死に看病をした。

栄養価が高く消化に良いものをとにかく食べさせまくり、水分をとらせまくり、今日は昨日に比べてこんなに良くなってるね!もうあと少しだね!!と毎日夫を騙し続けてみるものの、朝体温を測ると全然良くなっておらず、内心がっくりとしつつも生姜湯なんか作ってみたりした。5日くらい過ぎたころ、不思議にも熱がすっと引いて、7日目にPCRキットで検査をしてみると2人で陰性を出すことができた。くっきりした一本の赤い線を見て、本当にほっとしたことを覚えている。

 

クオランティーン場所のごみ捨て場から。

 

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One Reply to “カナダ移住記 – ①移住編”

  1. […] 第一回の移住編では、移住してきた際のエピソードを詳しく書いているので、よかったら是非こちらも覗いてみてくださいね😌 […]

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