東長崎のお気に入り

東京は人も街もぎゅっと濃縮されているから、
電車から窓の外を眺めていると、次々変化していく街並みに、万華鏡を覗いているような気分になることがある。

池袋からほんの二駅のところに、東長崎という駅があるのだが、
ここは、抑えきれない程のエネルギーが蠢く、混沌とした都心とうってかわって、下町情緒の溢れる街だ。
駅を出ると、老舗の並ぶ昔ながらの商店街があって、
いたるところに人の生活感がある。

この街に、ちょっと面白い友人と、
彼らが営む、お気に入りの場所があるので、
今日はそれについて書いてみたいと思う。

商店街を抜け、お店も少なくなってきたところの小道を曲がると、
戸口の赤いポストがちょっとさびがかった、”おばあちゃんち”のような木造の一軒家がみえてくる。

けれど、向かい入れてくれるのは”おばあちゃん”でも”おじいちゃん”でもなく、
大学で建築を学んでいる、友人たちである。

もともと豆腐屋さんだったお家を、彼らがお金を集め、改築し、
地域の人たちにフリースペースとして提供したり、シェアハウスとして活用したりしているのだ。

あばら屋のようなところで、黙々と木を切ったり、ドリルをまわしたり、
壁にニスを塗ったりしていたのを見ていた私が言うのだから間違いない。

 

電灯、カーテン、本の並びなど、
訪れる度、変わっていくこの家は、なんだかとってもセンスが良い。

誰のおかげかって、それは当然家主、

というわけでもなくて、

もちろん家主のセンスもあるのだけれど、

なんだかこの場所は、集まる人たちが、センスの良いものばかりを残していっているように思えるから不思議だ。

素敵なカフェやバー、レストラン、
おしゃれな宿や家というのは、
やはり誰かデザイナーがいて、オーナーの趣味やセンスがあらわれる。

でもこの場所は、聞いてみると何から何まで貰い物で、
壁には子どもたちが描いた絵が、そのまま残っていたりする。
どうしてこんなに、家にぴったり合うようなものばかり、
センスの良い人たちばかり、集まるのだろう。

 

ところで、ここの家主がまた面白い人物で、
家主!という感じのしない、気さくな友人である。

エプロンをする姿は、爽やかな学生というより人の良い魚屋のおじちゃんのようで、
地域の女の子たちにも言いたい放題言われてしまっている家主だが、

実は、斬新なアイデアで数々のコンテストに優勝しちゃう、すごい人だったりする。

この友人には特技があって、
友達(だけではなくあらゆる生き物)へのサプライズもさることながら、
その次にすごいのは、人の良いところを見つけるのがめちゃめちゃ上手いところである。

彼の周りに、各々の魅力がある面白い人たちが集まるのも、
東長崎の一軒家に、センスのよい貰いものばかりが集まるのも、

きっと友人が、その人(もの)の魅力や良さを、よくわかっているからなんだろう。

彼がかつて、その場所で生活する人たち自身が形成していく空間を設計する、ということについて話してくれたことがあったが、
たくさんのデザイナーのいる場面で、主張が戦いあわないようにするのは、なかなか難しいに違いない。

 

なんてことを、女の子たちにせがまれるままに絵を描きながら、思うのである。

 

 

 

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